講座ダイジェスト
心を豊かにする服づくりと食べものづくり
「土さえあれば大丈夫」。高知に移住したばかりで「ここで食べて行けるかなぁ」と思う私に、豊太郎さんというおじいさんが言いました。これからお話しするのは、私が実践する土さえあれば誰にでもできる自給自足、土着した私の暮らしです。
私は今、高知の山のてっぺんの村で、小さな畑と田んぼを耕して果樹やお米を育てたり、ニホンミツバチを飼ったりしています。生業は畑もんぺや農民服、山岳少数民族のような服づくりです。着るとうれしくなったり楽しくなったり、踊りたくなるような服、体が解放される実感のある服を手作りしています。その傍らで自給自足と服づくりの暮らしの毎日をつづった本を出してきました。
田んぼは6年ほど前から始めました。その中で気づいたのは、お米は太陽と土と水が作るので、資本主義になじまないないことです。私の作るお米や野菜などがお金と交換されることに、とても違和感を覚えたのです。
お米や野菜がつくれるようになったことで「お金がなくなったらどうしよう」「パンデミックや資本主義後はどうなるか」といった不安や恐怖がなくなりました。また、田んぼや畑にいると、自分の奥底から自然と一つになったように感じて、ほんわかとする感情が湧き上がってきました。同時に私が生きるためにまずやりたいことは、食べものをつくることと思ったのです。
山岳少数民族から学んだこと
私が土着の暮らしに向かったきっかけは、20代だった1980年代のころに、タイとミャンマー、ラオス、中国の国境地帯にある山岳少数民族を訪ねる旅をしたことです。そのときに「こういう暮らしが人間の本質的な生き方だな」と直感したのです。
もともと食べものや服をつくるのは、楽しくて愉快な仕事でした。しかし、1970年代の日本では高度経済成長期を経て、仕事はお金を稼ぐためのものになっていきました。ところが私の見た山岳民族の暮らしはとてもシンプルで、服のつくり方も野性的でした。綿を育て、糸を紡ぎ、布を織り、手で縫う独特の民族服。彼らの服にはファッションのための服作りにはない魅力や理由がありました。山岳少数民族の服に出会って、私も自分で服をつくりたいと思い始めました。世界を見渡すとファッションのために大量につくっては消えてなくなる服ばかり。そういう流行の服とは違って、民族の中で着続けられる美しい服もあると知ったのです。
土着的な暮らしの実践
焼き畑で国境を移動しながら生きる彼らは、自由に生きるためにあえて国家に属さないという生き方を選んでいます。人類学者のジェームズ・C.スコットは著書『ゾミア』の中で「文字を持たないのは、国家や権力からの自由と自治のため、生きるための知恵」と言っています。国家や資本主義に依存してきた私も、山岳少数民族のように山の民として、自由に土着的に暮らしたい。そう思って25年前、高知に移住しました。
私は服づくりや本づくりと同じくらい、食べるための“しごと”をしています。私たちにとって本当に必要なのは水と食べもの。私が一つのものだけを持って逃げるとするなら、種を持って逃げます。「土さえあれば大丈夫」と、自分で食べものをつくる暮らしをしているうちに、社会の景気やお金に対する不安がなくなりました。食べ物を少しでも自分の手で作って服も自給すると、愉快になって暮らしが豊かになります。また、食べものづくりは同時に体づくりです。作ると手や足、体中が喜び、健康になります。植物や土に手足が触れて一体になると、なぜか心が躍って元気になります。
消費するばかりの現代に自分の手で何も作らないと、心が貧しく生きている実感がなくなり、暮らしが捉えどころのないものになってしまうのではないでしょうか。現代の人々にも土や野菜と一体化する、自然と一つになるといった感覚を、ぜひ味わってもらいたいと思っています。
未来の暮らしをつくる土着の知恵
コロナ後の世界で生き生きと生きるために、私の小さな土着の暮らしが未来を変えるかもしれないと思い始めました。家庭でも経済でも政治でもある暮らしは、社会そのものだからです。
あるときに1000円で梅干しを買うか、梅の苗木を買うかを考えました。一度梅干しを買うと、毎年買わなければなりません。でも、梅の苗木を植えると、毎年食べきれないほどの梅が実ります。何よりも梅の苗木を育てる喜びや、木に登って梅の実をもぐ豊かさが感じられます。お米と同じように梅も資本主義になじまないのです。
これからは右肩上がりの大きなことを目指すのではなく、小さな土着主義にシフトするのがいいと思っています。資本主義から片足だけ抜け出すのでもいいと思います。タイの山岳少数民族のように、美しい土着の暮らしを目指したいものです。
コロナ後を生きるための私から提案したいことの一つが、ギフトエコノミーとも言われる贈り物経済です。村では贈り物経済が当たり前で、移住した当初は村人からのたくさんの贈り物に驚きました。季節の野菜や食材のほか、棚田の石垣の直し方や、田んぼへ水を引く知恵なども含め、村中が贈り物にあふれています。贈り物経済では贈り物をもらったら、また別の人へとぐるぐる贈り物を手渡していきます。このような村人の生きるための知恵を、次の世代に伝えていきたいと思っています。
村の相互扶助や、贈り物経済のような“民なる下からの力”が、未来の暮らしをつくると思っています。土着とは種のように土を着て根を張ること。先住民や山岳少数民族の中には、種のような土着の思想が生きています。日本の農村にも、まだ土着の人間らしい知恵があふれています。未来の暮らしをつくるためにも、山岳民族などの小さな共生社会や国家に属さない工夫を見習いたいと思います。
あるとき、お金に依存しない暮らしをしてきた山岳民族の人から、人が自立して助け合って生きていくことの大切さ学ぶ出来事がありました。彼らの地域では田んぼも一人ではできません。川も水も共有し、村のみんなで共同して行う仕事になっています。そのようなことを見ていて、棚田の田んぼの目を見張る美しさは、村人の手によるものと分かりました。田んぼの営みがその土地の風景となり、私自身もその風景の一部となって美しい暮らしをつくるのです。美しい暮らしこそが平和の心をもたらします。このことこそが豊かさをもたらす視座になるのではないでしょうか。
ここからは講義中に集まった質問と回答の一部を掲載します。
質問1服づくりは、どのようにしているのでしょうか?
回答1山岳民族などの手織り布など、旅で出会ってきた布を集めて使うようにしています。また、山岳少数民族の服からヒントを得た形の服や、日本の農民服であるもんぺなども作っています。
質問2早川さんの仕事に対する考え方を教えてください。
回答2私は漢字で仕事と書くと読めなくなってしまうので、ひらがなを使っています。主な“しごと”は服づくりですが、服もまたアートになれるのではないかと思っています。アートは自分を解放してくれて、自由にしてくれるものです。そういうものが必要です。“しごと”もその中から生まれてきていると感じています。
質問3ここに至るまで失敗や悩み、不安はありましたか?
回答3あまり失敗を失敗と思っていません。思っていたのと違っても、「こういう作り方もできるんだ!」と思ったりします。自分がイメージしたものが形になっていくのはとても楽しいです。また、“しごと”と思わずに好きなことをやっていると体が開いてきます。不安は若いころにありました。資本主義社会のあり方自体にあらがう気持ちがあり、その中に自分が入っていくのが嫌でモヤモヤしたり不安だったりしました。それならば自分で何かをつくることを始めたいと思ったのが、今の暮らしを始めるきっかけでした。今こうして自分のやりたいことが実現できるようになったことで、不安などはどこかに吹き飛んでなくなりました。皆さんもきっと私と同じように、土を触っていると解放されていくのではないでしょうか。