講座ダイジェスト
地球システムと人間の活動
私は大蔵省(現財務省)へ入省し、国際通貨基金(IMF)や世界銀行で働いた後、2012年から地球環境ファシリティ(GEF)のCEO兼議長を務めました。それ以来、地球環境をどう守っていくかを考えることをライフワークとし、現在は東京大学のグローバル・コモンズ・センターでダイレクターを務めています。本日はグローバル・コモンズ=安定した地球環境を守るために何が重要なのかということを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
まず地球環境について考える際には、地球の歴史を大局的に捉えることが重要です。例えば気候変動について、昨今は温暖化が叫ばれていますが、過去10万年間の気温変動をみると地球が温暖と言える状態になったのはわずか約1万年前で、それまではほとんどが氷河期であったことがわかります。地質学者はこの温暖な期間を「完新世」と呼び、人類は安定した気温のもと文明を築いてきました。しかし、20世紀半ば以降に人間の活動が急加速し、地球環境に多大な負荷を与えるようになりました。
ストックホルム・レジリエンスセンターのヨハン・ロックストローム博士たちは、地球の安定性を担保するのに重要な9つのプロセスを特定し、「プラネタリー・バウンダリー」という概念で可視化しました。これによれば、生物多様性や窒素・リン循環、新規化学物質、気候変動など、多くのプラネタリー・バウンダリーはすでに危険水域に達しています。気温が1〜3℃上昇すると、地球システムを不可逆的に変える自然界の様々な現象が次々に引き起こされる恐れがあると考えられています。私たちが築いてきた社会・経済システムが、人類の繁栄の基盤である「完新世」の安定的な地球システムを壊そうとしているのです。環境愛好家や研究者だけではなく、ビジネスに携わっている人たちも危機感をもっています。たとえば、世界経済フォーラムが公表した「グローバルリスクレポート2022」では、主要な長期的(5~10年)リスクのトップ5がすべて環境に起因するものとなっています。地球システムの安定を維持するには世界的な社会・経済システムの転換が必要であり、その猶予はあと10年と言われています。
世界共通の指標を持ち、グローバルなシステム転換へ
SDGsで掲げられている17の目標は、地球環境・社会・経済の3つの層のウェディングケーキのように整理することができます。持続的に発展する経済や、包摂的な社会を実現するためには、その基礎である安定した地球を守る必要があります。私たちは、この「社会・経済の繁栄の基礎となる、安定的で自己回復性のある地球システム」のことを、グローバル・コモンズと呼んでいます。
ローカルなコミュニティは、たとえば村の入会地などの共有資産(ローカル・コモンズ)を自主的に管理する仕組みを会得してきました。その仕組みの根底にあるのは「自分の身近な環境を守ることが、自分を守ることに繋がり、その先の未来や子どもも守る」という考え方です。私たちはこの意識を押し広めて、グローバルなコモンズを管理する仕組みを新たに作り上げる必要があります。
国際社会においては、1992年の環境と開発に関する国連会議(UNCED、リオ地球サミット)で署名が開始された、リオの3条約(気候変動枠組み条約、生物多様性条約、国際砂漠化対処条約)の設定などで、グローバル・コモンズの管理に取り組んできました。しかし、こうした国際社会の努力はなかなか実を結んでおらず、温暖化や生物多様性喪失は進行し続けています。
そこで、東京大学のグローバル・コモンズ・センターでは、具体的に今、私たちは何をすべきかという観点で、地球の置かれている状況を可視化し指標を示す取り組みを行っています。これにより、各国の環境負荷への対応を促そうとしています。
100ヶ国を評価してわかったのは、ほとんどの国において現状の取り組みだけでは2030/2050年の環境目標を達成できず、全ての国で迅速なシステムの転換が必要であるということです。また日本のように、国内での消費を国外からの輸入に頼っている国は、貿易を通じて海外に与えている環境負荷の割合が高いことがわかりました。自国のことだけを考えていては、国内外のグローバル・コモンズを守ることはできません。そこで私たちは「エネルギーシステム」、「食料システム」、「生産/消費システム」、「都市システム」の4つの社会・経済システムを「ガバナンス・政策」、「経済制度・金融」、「社会的調和」、「信頼できるデータとデジタル技術」という4つの切り口で転換することを提案しています。
「ガバナンス・政策」とは、どのような考え方と方向に向かって転換を進めていくのかというビジョンを定めるものです。明確な国際的枠組みを確立し共有できれば、技術開発等の取り組みも加速させることができます。また地球を壊すようなシステムを作らないためには、経済制度・金融のルール策定が必要です。さらに、それらが正しく機能するためには、社会的調和のもとに、公正・公平に移行が行われることが大切です。そして最後に、加速しているデジタライゼーションはグローバルな仕組みを大きく変える可能性があるため、信頼できるデータとデジタル技術が重要なポイントになると言えるでしょう。
食生活から見える、私たちにできること
先ほど挙げた4つの社会・経済システムの中でも、食料システムは様々な観点から多大な環境負荷を与えています。環境にとっても人類の健康にとっても優しいシステムとは言えません。栄養不足で苦しむ人が大勢いる一方で、肥満や糖尿病になる人が急増しています。また、農業や林業等の土地利用による温室効果ガスの排出は全体の約20%を占めます。土地の転換や生物多様性の喪失の原因の大半が食料システムに由来するものです。とあるレポートでは、G20参加国の食習慣をグローバル全体に広めた場合どれくらいの地球が必要になるかという調査が行われ、日本の食習慣では約1.8個、アメリカ合衆国の場合は約5.5個の地球が必要になるという結果が報告されています。
2019年にEATランセット委員会が発表した報告書では地球環境と人の健康、どちらにも優しい食事が提唱されています。ひとことで言えば地球環境に優しい食事は人にも優しいということなのですが、具体的な食事メニューの提案を含むため世界中で大反響を引き起こしました。システム転換を加速させるには現状のシステムに問題意識を持ってもらうことが重要ですから、人々の興味・関心を集め様々な議論を起こしたという点で、この取り組みは非常に効果があったと考えています。
最後に、都市システムについて触れておきます。都市は、世界の人口・経済活動が集中する場であり、住む、食べる、移動する、エネルギーを使うといった人間の様々な活動による環境負荷が集中する場でもあります。特に人口増加が顕著な発展途上国における新しい都市のデザインは、今後大変重要になるでしょう。また、都市は「アイデアの実験室」と呼ばれる通り、新しい取り組みを試すのに適した環境です。都市システムの働きによって今後の地球環境が決まると言っても過言ではありません。都市のあり方に関する研究や実践、議論はますます大きくなっていくことでしょう。そういった意味でも日本に住む私たちがどういった考えを持ち、働きかけていくのかということを考えるのはとても重要です。地球環境と人間の活動に深い繋がりがあることを知ることで、人間の役割を考える契機になれば幸いです。
ここからは講義中に集まった質問と回答の一部を掲載します
質問1日本は他国に比べると環境に対する意識が高くないと思いますが、どうすれば日本の意識を世界基準に合わせていくことができるのでしょうか?
回答国内の意識を高めるには、市民の力、消費者としての皆さんの力がとても重要だと思います。例えば、スーパーに並んでいる商品。最近は生産者が誰かはわかるようになってきましたが、生産する際に環境にどれくらいの負荷がかかっているかはほとんど記載されていません。安いものではなく環境に良いものを選択したいという考えがあるならば、その意思を示し、企業に対して情報を求めることが大切ではないでしょうか。選挙についても同様の考えです。日本の立候補者が環境について十分に議論しない背景には、投票する私たちがそういった疑問を投げかけていないという問題があります。待ちの姿勢ではなく私たちの方から情報を求める、疑問を投げかけるということがとても重要で、それによって変化する部分はとても大きいと思います。
質問2市民の意識改革をサポートするには、技術革新、法規制、教育、パートナーシップのうちどの部分がより重要になってくるのでしょうか?
回答とても良い質問です。答えは全部だと思います。最近は子どもへの教育がますます重要視されています。子どもが学んだことを親にフィードバックすることで、かえって親の理解が深まるということも言われています。また経済・金融制度の再設計は、これまでは良しとしてきた環境破壊につながる野放図な経済活動に制限を加え、守るべきものを守るために必要です。また、一人一人が地球市民である自覚を持って役割を果たそうとする意識も不可欠です。デジタライゼーションを活用することでグローバルな共同意識を育むことができるのではないかとも言われていますので、そうした技術革新も改革のキーになると思います。
構成・文:伊藤彩乃(株式会社Fukairi)