市民のための環境公開講座は、市民の皆様と共に環境問題を理解し、それぞれの立場で具体的に行動することを目指します。1993年に開講し、SDGsやサステナブルをキーワードに毎年開催しています。※各回の講座については、曜日、開催時間が異なりますのでご確認の上お申込みください
オンライン講座 無 料

特別講座

震災後10年の気仙沼の海から、人と自然のつながりを考える

日 時 8/21 10:30〜12:00
開催方法 オンライン会議方式(Zoomを使用予定)
参加者 20名
畠山 信
畠山 信

NPO法人 森は海の恋人 副理事長

父・畠山重篤さんと共に牡蠣漁師として生活しながら、自然環境の調査、保全、環境教育など幅広く実施。東日本大震災の復旧・復興事業に奔走する傍ら、震災後の自然環境を活かした持続可能な地域づくりを展開している。
http://jola-award.jp/winner/609/

2011年に東日本大震災が発生してから今年で10年を迎えます。被災地である気仙沼も震災により壊滅的な被害を受けましたが、この10年で復興に向けた取り組みが着実に進められています。本特別講座では、NPO法人森は海の恋人の畠山信氏を講師に、オンラインの特性を生かして、宮城県気仙沼市と中継で結びながら講師と参加者の双方向のコミュニケーションを重視した講座を提供します。

講師からのメッセージ

東日本大震災から10年が経過しました。

「復旧・復興」、「防災・減災」を掲げて進められてきた災害復旧工事により、大きく変化してきた街並みと自然環境。何を得て何を失ったのか?発災直後に思い描いていた未来像は達成できたのか?成功、失敗の原因は何だったのか?

三陸沿岸の今の状況を海上からの中継を交えて皆様にお伝えし、今後どのように変化していくのか、何をやるべきなのかを皆さまと一緒に考えたいと思います。

講座ダイジェスト

震災後、新しく生まれたもの

学生時代、生態学や生物調査法を学び、生き物に携わる仕事をしてきた私は、2009年に生まれ育った宮城県気仙沼市舞根(もうね)に帰郷し、父と共に牡蠣やホタテの養殖に携わる傍ら、NPO法人森は海の恋人を設立しました。設立のきっかけは、赤潮が原因で牡蠣が真っ赤になり販売できなくなったことと、当時建設を予定していたダムへの反対運動が影響しています。そのため“森は海の恋人”と検索すると、海から山まで流域を広く保全することの重要性を社会にアピールする活動である、漁師が山に木を植えている写真が最初に出てくると思います。

2011年に起きた東日本大震災以降は、環境教育、森づくり、自然環境調査の3つを柱に活動しています。震災による津波の影響で、私が牡蠣やホタテの養殖をしている舞根湾にもあらゆるものが流れ込んでしまったため、この海で生産業を再開することが可能なのか調べる必要があったのです。大学や研究者の方々と協力し、水質や底質、プランクトンを中心に、食の安全が保てるのかどうか自然環境調査を始めました。今も月に一度のペースで様々な調査をおこなっています。

そうした調査からわかってきたのは、震災や津波によって多くのものを失った一方で、新たに生まれたものもあるということです。例えば震災後、耕作放棄地にできた塩性湿地。これは地盤が沈下したことで満潮時に河川を通じて海水が遡上して生まれた湿地で、調査の結果から数多くの生物が回復していることがわかっています。また、災害後にはあらゆる場所で復旧工事がおこなわれ、その影響で失われた自然環境もあるのですが、舞根地区では湿地沿いの川にある護岸を復旧工事の予算で壊すという日本で初めての取り組みも行われました。これにより湿地と河川との水交換が良くなり、より変化に富んだ生態系へと変化していることがわかりつつあります。一昨日の調査では、50センチほどのウナギと20センチほどのヌマガレイを確認しました。

自然環境保全が地域を支える

三陸沿岸部の中で宮城県では唯一、舞根地区だけが防潮堤という高潮や津波の被害を防ぐ10メートルほどの巨大堤防を、建設しないことを決めました。町を守るために大きな壁で町を囲むことになる防潮堤の是非にはさまざまな議論がありますが、地元住民の総意として「元々無かったものだからいらない」という理由で防潮堤を作らず、高台への集団移転を決めたことは、舞根の景観と自然を守ることに繋がります。また塩性湿地に関しても、体裁上残しているところが多い中、舞根は生物が住み着く希少な環境として、きちんと残すことができたと感じます。そのおかげで、震災で破壊された生態系が回復した地域として視察に来る人が増え、結果的に交流人口も増加しています。

珍しい災害復旧工事がおこなわれたことも、来訪者が増加した理由のひとつです。一度建設した護岸を復興工事として開削したことは日本では初めての事例のようです。これを可能にしたのは、住民が研究者の方々と一緒に調査した結果(科学的根拠)をベースに、地域で合意形成できたことだと思います。漁師として自然との共存の重要性を訴えて住民の合意を形成し、科学的根拠による理論武装して役所と交渉したことで、舞根には震災後、新たなコミュニティ・文化が生まれました。

舞根以外の地域では次々に防潮堤が完成しています。垂直の壁状のものから三角形のものまでさまざまな種類がありますが、どれも巨大です。また、津波は海から河川を遡上していくため、宮城県に建てられた河川護岸も大きなものになっています。この河川護岸は津波による大きな被害を防ぐ反面、そこに住んでいた生物を消滅させてしまうという側面もあります。つまり、生態系というのは自然災害とそのあとの復旧工事の2回にわたり、撹乱されるということです。舞根地区はそれを1回に止めることができましたが、この事例を他の地区に波及できなかったというのは、私たちが達成できなかったことのひとつだと感じています。今後は、新事業を中心に流域全体の保全活動を進めつつ、自然保護や環境保全活動をすることで地域が経済的に潤う仕組みづくりを目指していきたいと思います。

200リッターの海水を吸い込む牡蠣

みなさんは牡蠣が何を食べているか知っていますか。養殖といっても、餌や肥料をあげて育てているわけではありません。牡蠣は1日に200リッターほどの海水を吸い込み、その中にいるプランクトンを食べて大きくなります。舞根湾では筏(いかだ)1台につき255本のロープを吊るし、そのロープには500個ほどの牡蠣が付いているので、物凄い量の海水とプランクトンが必要なことがわかると思います。日本に限らず、世界中で牡蠣の養殖場が河口にあるのは、河口には餌となるプランクトンが多く生息しているからです。

網の目が細かいプランクトンネットで、水深5メートル〜10メートルあたりの海水を汲み上げると、簡単にプランクトンを確認することができます。プランクトンとは、水中を漂って生活する浮遊生物の総称で動物性プランクトンと植物性プランクトンに分けられます。牡蠣が食べているのは植物性プランクトンなので顕微鏡を見ないと確認ができませんが、海にはこうしたプランクトンがたくさんいるおかげで、牡蠣はすくすくと育つことができます。そのため、透き通っている海はとても綺麗ではありますが、生物学的には豊かとは言えない場合があります。濁り過ぎていても問題なので、海がどうして濁っているのか調べることが重要です。

ここからは講義中に集まった質問と回答の一部を掲載します

質問1防潮堤がないことで、不安はないですか?

回答今までも無かったものですし、私は海が見えず、様子がわからないことの方が不安です。また漁師にとっては、住まいと同じように海にあるものの全てが財産だと思っています。今は家も高台にあるので、不安は感じていません。

質問2河川護岸には、どのような生き物が生息していますか?

回答魚類ならハゼ科、甲殻類ならスジエビ、モクズガニなどが生息しています。両側回遊といって、海や川を行ったり来たりするアユやウナギも発見されています。海水と淡水が混合している汽水なので、海に住んでいる生き物と河川に住んでいる生き物が混ざり合っていて、いろんな種類を見つけることができます。今後はこの豊かな生態系をもつ河川護岸が、舞根湾の養殖業にどう影響しているか調べる予定です。すでに豊富な地下水脈が海の生態系に影響を及ぼしていることはわかっているので、湿地の中の栄養塩の影響や変化も徐々にわかってくると思います。

質問3自然保護で地域が潤う仕組みについては、どんなことを考えていますか?

回答ひとつは観光ですね。湿地に関しては、海外の方々の関心がとても高いので、主に環境保護に興味のある人達に向けたエコツーリズムの構築を考えています。こぢんまりとした土地で多くの人を呼ぶことは難しいので、本当に興味のある方をご案内するという形を自然保護で地域が潤う仕組みづくりを目指す予定です。

質問4震災後、牡蠣の成長スピードに変化はありましたか?

回答発災直後から1年半は、通常の倍ほどのスピードで牡蠣が成長しました。プランクトンを調べてわかったのは、発災後の海にはプランクトンが大量発生したということです。つまり養殖の牡蠣は1年中、海水を飲み込んでいるので餌を食べ放題。いつもは2年かけて成長するはずが、1年ほどで出荷できるサイズになっていました。

構成・文:伊藤彩乃(株式会社Fukairi)