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1.食品の安全性 |
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近年の食品の安全性への関心の高まりの背景として、様々な事象が考えられる。まず、食品自体の安全性に関わる問題として、食中毒・BSEの発生等がある。また、食品が広範に流通しているため、一度被害が発生すると被害が大規模化してしまうなど、大量生産と都市化による被害の大規模化の問題がある。さらに、グローバル化による予想外の問題の発生が予測される。昨日は隣の国であったことが、今日は日本で起こるかもしれない。また、遺伝子組換等の新技術の開発や導入による問題が考えられる。科学技術の発展は、食品の安全、食品の安定供給に寄与すべく行われているものだが、未知の技術はそれだけで不安の対象になってしまうことがある。また、近年食品全般について様々なメディアで報道されているが、それらが適切に行われているとは限らないという現状がある。 |
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「安全」と「安心」はセットで言われることが多いが、両者は別のものである。安全かどうかは科学的評価で客観的に決まるものであるが、安心は個人の経験や知識によって決まる主観的なものである。つまり、判断する人間によって安心の基準が異なるため、安全だから安心、安心だから安全ということは一概には言えない。この二つをつなぐものが「信頼」である。生産者がきちんと安全なものを作り、消費者も生産者を信頼していれば安心して食べることができる。同様に、行政もリスク管理をしながら安全を確保し、国民の信頼を得なければ安心を感じていただくことができない。 |
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しかし、実際には食品の安全性に関する信頼を揺るがす要因がたくさん存在する。まずは食品の安全性自体の問題である。また、事故を起こしたときは、その背景にある行政・産業界のモラルや姿勢が大きく信頼に影響する。同じく、事故後の対応の仕方も重要で、企業にとってクライシスマネジメントは非常に重要である。 |
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次に、食品の安全性に関する世界的な動きを概観する。「食品を食べる」ということは万人に関わることなので、食品の安全性の問題は重要な政治課題のひとつであり、消費者保護を非常に重視している。また、食品の安全性をカバーするため、一次生産から消費までフードチェーンの全てに関わる政策が必要だと考えている。出来上がった製品をチェックするより、生産段階の安全管理を徹底するほうが効率的である。また、複数の組織がバラバラに取り組むのでは対応しきれないため、組織的・統合的な対応の必要性が認められている。日本の場合では、フードチェーン全てに関わる施策をしようとすれば、生産現場を預かる農林水産省と食品を預かる厚生労働省が連携しなければならない。また、消費者や外国から問われたときにきちんと説明のつくよう、科学に基づいた政策、リスク分析の考え方に基づいた政策が必要である。 |
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BSE発生以前のヨーロッパや日本では、問題が起きなければ大丈夫、事故が起きなければ安全だという考え方であった。しかし、これでは問題が発生してからの対応や事後の危機管理しかできない。未然に、予算や人材をつぎ込むことは、勇気の要ることであるが、事後の対応では結局費用も労力もかかり、また、信頼を失うという大きな損失を被ることになるため、アメリカで始まった「安全と証明されるまでは安全といえない」「事後の対応より予防に重点を置く」という考えを、BSE発生後は日本やヨーロッパも取るようになった。このような政策の土台となる考え方がリスク分析である。 |
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そもそも、「絶対安全な食品」は存在しない。食品が安全かどうかは摂取する量、体内でどのように吸収されるか、そしてそのものが持っている毒性によって決まる。つまり、毒性の強いものであれば、少量でも悪影響が出るし、毒性が弱ければかなりの量を食べても大丈夫ということである。さらに、生きていく上で必要な物質であっても、大量に摂取すると健康に悪影響が出る場合がある。例えば、ビタミンAは体に必要な物質だが、過剰に摂ると悪影響が出る場合がある。つまり、どんな量や濃度においても常に安全というものはないのである。 |
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食品の安全性に関する考え方は、科学の発達に大きく関与している。食品の安全に関する政策を最初に始めたのはアメリカで、1906年に、食肉工場の非衛生的環境を改善する目的で、純正食品医薬品法と食肉検査法が、1938年には連邦食品医薬品化粧品法が成立した。さらに、1958年に「発ガン性があると証明された物質は食品中に存在してはいけない」とするDelany条項が取り入れられた。しかし、1985年には、「100万人の生涯(70年)に1人の発ガンまでは許容する」とするDe minimisの概念が認められた。科学の発展に伴って、このように考えざるを得なくなってきたためである。 |
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例えば、近年、分析できる値がどんどん小さくなっている。現在では0.01ppmまで測定可能になるような検査方法もある。実験動物や細胞系も改良され、感度の高いものができている。そのため、今まで毒性がないと思われていたものも、非常に弱いながら毒性が確認されるということがある。科学的にリスクはゼロだとは言えなくなってしまった。 |
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以上のようなことから、現在では、食品の安全を、実際に食べたり使用したりする方法や濃度・摂取量において健康への悪影響がないこととし、そのような食品の安全を確保するために、リスク分析の考え方を食品安全行政に取り入れている。 |
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2.食品の安全性に関わるリスク分析 |
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「リスク分析」の定義は「国民又はある集団がハザードにさらされる可能性がある場合、その状況をコントロールするプロセス」であり、すなわちリスクの程度を知り、それを低減するための措置をとることで、可能な範囲で事故を未然に防ぐ、リスクを最小にする等を目的とする。これはゼロリスクを目指すものではない。 |
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リスク分析の必要性が認められてきた背景には以下の理由が考えられる。まず、世界的な食品の安全に関する動きとして科学に基づく政策が求められるようになった。また、食品の安全性確保の方法として実際に使用する濃度や量、摂取量での安全性を評価することが必要だと考えられるようになった。さらに、衛生植物検疫措置に関する協定(SPS)にみる必要性である。SPS協定は、WTO協定の一つで、加盟している国は食品の安全性に関する貿易上の措置について、コーデックス委員会という機関の規格を基準としている。例えば輸出入に関する条件を相手国と取り決めるときに、自国の生産振興のために相手への条件をコーデックスの基準より厳しくしようとしても、科学的な根拠が示せなければWTOに提訴されてしまう。つまり、貿易において自国の利益を守るためにも国内できちんとリスク分析を行わなければならない。 |
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「リスク」でいう悪影響には、死に至るような重篤なものから軽い腹痛程度のものまで様々な程度があり、さらにそれに確率が係わってくる。食品安全の場合、ゼロリスクということはあり得ず、通常リスクはあるものと考えられる。また、リスクは実際に見たり測定したりできない。 |
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「リスク」の認知は様々な要因によって変化する。例えば、能動的、自分でコントロールが可能、利益がある、みんなに公平に及ぶ、自然由来、経験がある、大人にしか影響しない、等の場合には、実際よりリスクを小さく感じ、逆の場合には実際よりリスクを大きく感じる傾向にある。例えば自動車事故で死亡する人やケガをする人は多いが、リスクが高いから自動車を禁止しようとは言われていない。運転者が自分でコントロールしている、自動車によって莫大な利益を得ている、自動車が普及してから長い経験もある等の理由から多くの人は実際より自動車のリスクを小さく捉えるのであろう。私たち行政にとって、自分たちの扱うリスクが、世の中でどのように認知されているかを知ることは、対応について検討する上でも、非常に重要なポイントである。 |
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一方、「ハザード」はリスクと異なり、見たり測定したりできるのでわかりやすい。食品の安全性に関わるハザードの具体例として、食中毒をおこすようなサルモネラやO157などの「有害微生物」、テトロドキシンというフグの毒や、カビがつくる毒などの「天然毒素」、ダイオキシンや重金属などの「汚染物質」、最近見つかったアクリルアミドなど、「加工中に生成する物質」、そして、農薬や食品添加物など、いわゆる生産資材と言われる「生産・加工中に使用する物質」などがある。 |
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さらに、食品の安全に関することばとして、「リスク」と「ハザード」に加え、「健康への悪影響」がある。この三つは混同しやすい。「ある物質が含まれる食品を食べて病気になる」という事象があるとき、ある物質が「ハザード」、病気になるということが「健康への影響」、そしてどの程度の病気がどのような可能性で起こるかということが「リスク」である。 |
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リスク分析(リスクアナリシス)は「リスク評価」「リスク管理」「リスクコミュニケーション」の三つの要素からなっている。リスク評価は食品中に含まれるハザードを摂取することによってどのような健康への悪影響がどのくらいの確率で起こるかを科学的に分析することである。つまり、リスクを実験データや疫学調査などに基づいて科学的に評価する。一方、リスク管理は全ての関係者と協議しながら、政策の選択肢を慎重に考慮し、リスクを低減するための政策を決定、実施することである。リスク評価が科学的なのに対し、リスク管理は学際的であり、様々な要因や社会的な背景等を考慮して決定していく必要がある。リスクコミュニケーションは、リスク分析の全課程において、リスクそのものやリスクに関連した事柄について、全ての関係者が意見交換することである。 |
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リスク評価の結果はリスク管理の基準になる。リスク評価はリスク管理に左右されずに科学的に行う必要があるため、リスク管理とリスク評価は基本的には分離していなければならない。 |
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一方、リスク管理機関が、リスク評価機関へ評価を依頼する際、どのようなことが問題で、どういった評価をしてもらえば、リスク管理に反映できるのかということを、きちんとリスク評価機関に伝えなければ、出てきた結果が役に立たないものになってしまう。よって、この二機関は機能的に分離しながらも、コミュニケーションを取り合う必要がある。 |
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次に、リスク分析の各要素を説明する。リスク評価では、まず食品中のハザードが何か、を特定する。農薬や食品添加物は最初から入っていることがわかっているので、そのものについて評価すればよいのだが、ある食品を食べると健康へ悪影響が出るというような場合には、その中に含まれる何が悪いのかということを調べなければならない。ハザードが特定されたら、ハザードによる健康への悪影響の性質の評価をする。実際に動物実験などによってデータをとり、例えば化学物質では、一日許容摂取量(ADI、人間が一生涯毎日そのものを食べ続けても体に悪影響が出ない量)を導き出す。それから、このハザードが含まれている食品を人々がどれだけ食べているか、食べ物からどれだけのハザードを摂っているかの推定をする。一日許容摂取量(ADI)と食品からのハザードの摂取量を比べ、実際に摂取している量が少なければリスク管理をする必要はない。逆であればなんらかの対策をとる必要が出てくる。 |
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次に、リスク評価をもとにリスク管理を検討するが、最も重要なことは「健康の保護」であり、「予防」を念頭において行う。そのためには、生産段階でのリスク管理が最も重要である。食品に入ってしまったものを取り除くよりも、汚染源対策が有効であることが多い。また、リスク管理は学際的なものであり、例えば小規模生産者や産業保護とのバランスや、実際に行うときの費用についても検討しなければならない。安全に関することで、お金のことを問題にすると反感を持つ人もいるだろうが、実際にどのレベルまで安全を求めるかということもリスク管理の中で考える必要がある。よって、行政だけでなくそのリスクに係わりのある消費者、生産者、事業者など、様々な立場の利害関係者に参画してもらい、意見を聞く。このことにより、施策の決定の透明性を守ることができる。 |
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リスク管理はリスク評価を基にして行われるが、リスク評価で必ずしも結果がはっきり出せるとは限らない。このような科学的不確実性についても、リスク管理の中で考慮していかなくてはならない。予防的措置を適用し、ADIを割り出す時、通常より高い安全係数を使用したり、完全に使用を禁止してしまう措置も考える必要がある。また、新しい補足データなど科学的な新しい知見や、新しい問題が発生すれば、その都度見直していかなければならない。 |
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リスクコミュニケーションは、リスク分析において不可欠な要素である。消費者、生産者、事業者、マスコミなどのすべての関係者が、お互いの意見やニーズを知り、できるだけ納得する施策を導き出すことが重要である。健康の保護が第一であるが、小規模生産者の保護や環境保護とのバランスも考えていく必要があり、施策を実施する際のコスト・ベネフィットについても検討する必要がある。また、リスク管理者が、リスク分析を必要とする問題をピックアップする際、人、時間、資金が限られている中、何を優先的に取り上げるべきなのかということも、関係者の意見を聞いて決めていく。これもリスクコミュニケーションの一つである。一方、直接施策に関わることだけでなく、教育啓蒙活動など、学校教育や生産者、家庭を含めた食品の取扱者に、食品の安全について常に情報を提供していくことが大切だ。また、リスクコミュニケーションでは施策の策定過程でどのような意見や評価が出たのかが公開されるので、政策の透明性を確保することができる。 |
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リスクコミュニケーションを行う際は、対象となる事業者、生産者、消費者など様々な立場の人々が理解しやすい用語や適切なコミュニケーションの手法を選ぶ必要がある。また、相手の立場を理解し、正直で、オープンかつ明確な態度で接することが求められる。リスクの認知は個人によって異なるものだが、特に、リスクを扱っている専門家の考えるリスクの捉え方と、消費者、生産者がそれをどうとらえるかにはかなり大きなギャップがある。それに気付かずにリスクコミュニケーションをしてもすれ違ってしまう。さらに、報道関係者に対しては、内容を間違えずに報道できるよう、報道関係者のニーズに合った形で情報を提供するということも大切である。 |
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また、提供する情報が偏りのあるものであってはいけない。例えば、リスク評価上の不確実性やリスク管理実施上の困難さなどについてもきちんと説明する必要がある。データを公開する際は、そのデータが一体何を表すのかということを説明する必要がある。数字の一人歩きにならないよう、どのようなサンプリング、分析、統計処理によって何を目的に出したのかという整理をしなくてはならない。 |
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リスクコミュニケーション自体は決して問題解決の方法ではない。問題解決はあくまでリスク管理をすることである。しかし、リスクコミュニケーションを行うことで、問題解決方法を決定する助けとなる、透明性を保ち、解決方法が受け入れられやすくなるなど、利害関係者の信頼・信用の確立が期待できる。リスク管理機関がいくら安全性を確保しても、信頼が確保されなければ、消費者に安心して食べ物を食べていただくことが出来ない。 |
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3.我が国の食品安全行政 |
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近年国内で様々な食品の問題が発生しており、日本でも食品の安全に関する関心は高まってきたが、特にBSEの国内発生は、食品安全行政を見直す大きな転機となった。平成14年4月にとりまとめた厚生労働大臣と農林水産大臣の私的諮問機関としてできた調査検討委員会の調査報告書には、今までの食品安全行政に対し、「危機意識の欠如と危機管理体制の欠如」「生産者優先・消費者保護軽視の行政」「農林水産省と厚生労働省の連携不足」など7つの指摘が挙げられている。 |
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平成15年6月には「食品安全基本法」が制定された。「〜前略〜食品の安全性の確保に関し〜中略〜施策の策定に係わる基本的な方針を定めることにより、食品の安全性の確保に関する施策を総合的に推進すること」が目的として掲げられている。「施策の策定に関わる基本的な方針」とは、リスク分析のことである。 |
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また、「国民の健康の保護が最も重要」とする基本理念、それぞれ食品に係わる者の責務や役割が書かれている。食品安全行政に関しては、国が先頭に立って食品安全を確保していくことが大切であるが、消費者も、リスクコミュニケーションの場で意見を出してもらうことなど、積極的な参画を期待している。 |
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また、リスク分析についても、食品健康影響評価の実施(リスク評価)、国民の食生活の状況等を考慮し、食品の健康影響評価の結果に基づいた施策の策定をする(リスク管理)、そして、情報及び意見の交換の促進(リスクコミュニケーション)として法律の中で位置づけている。 |
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行政機関のそれぞれの役割については、リスク管理は厚生労働省、農林水産省が、リスク評価は食品安全委員会が担っている。これらの機関が、消費者、生産者、事業者なども交えて相方向にリスクコミュニケーションを行っている。厚生労働省と農林水産省の関係も非常に強化され、連携して取り組んでいる。 |
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制度や組織の改革とともに、消費者の健康の保護を最優先とすることや、消費者をリスクコミュニケーションのパートナーとみなす考え方が浸透し始めている。組織的な仕組みの改変だけでなく、それに関わる行政の人間一人一人の意識改革が重要である。ただ、現在の消費・安全局が発足し、私が食品安全行政に取り組んで2年になるが、まだ十分に機能を発揮できていない部分もあると感じている。特に、リスク管理やリスク評価に比べて、リスクコミュニケーションの分野についてはそれまで取り組みがほとんどなかったため、戸惑いもあり、現在でもうまく浸透していない。本日お話したような食品の安全についての考え方、リスク分析の考え方を持って日本で食品安全行政が行われていることを、皆さんにも知っていただき、食品安全について一緒に考えていただくことが大切と考えている。 |
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