2003年度 市民のための環境公開講座
   
パート3:
環境問題の根源を学ぶ
第2回:
森と水を守る文明・破壊する文明
講師:
安田 喜憲氏
   
講師紹介
安田 喜憲氏
日本国際文化研究センター教授。1946年三重県生。74年東北大学大学院地理学研究科博士課程退学。広島大学総合科学部助手を経て、理学博士。94年より現職。フンボルト大学客員教授。専門は環境考古学。「環境考古学」という新分野を日本で初めて確立。古代文明の盛衰と環境変動とのかかわりを世界的スケールから研究している。
 
はじめに
 
 「人間が何を食べるか」によって知らず知らずの間に、森を破壊する文明とそうでない文明を構築してきました。文明史をたどりながら、地球環境の過去・現在・未来を展望します。
 
 
 私は10年ほど前から、森と水を守る文明と破壊する文明があるということについて研究してきた。森と水の共生がどのようにして起こるのか、その原点は食べ物にある。
 2020年には世界人口が80億人になるという予測がある。水がなければ生きていかれない。命を守ることはできない。では、その水を守るためにはどうすれば良いのだろうか。
 1万年前、メソポタミア文明は森を破壊した。彼らは森が憎いわけではない。彼らの生活にとっては、畑を造って羊を放牧しなくてはならない。羊たちは、木々の若芽を食べてしまう。したがって、羊を放牧すると森を破壊してしまうことになる。
 地中海ギリシャのパルテノン神殿を造った人々。彼らも同様に森を崇拝していた。彼らの主食はパンである。パンを焼くためには、米の3倍の熱量が必要である。燃料の確保のために森が破壊された。森が破壊されることによって、地中海の海が死んだ。海岸には、海草一つ落ちていない、命のかけらも落ちていない。背後の森を破壊してしまったからである。
 畑作牧畜民の流域経営は、下流のデルタ地域はほったらかしである。上流部の水源地に家畜を放牧する。家畜によって森が破壊されると共に、糞尿によって水が汚染される。地下水が汚染されることになるのである。ヨーロッパでは500〜800メートルも掘らないと地下水は飲めない。
 このように、パンや肉を食べる生活は、森と水を破壊する。善と悪の二つしかないキリスト教という一神教が過酷な影響を与えるのである。邪悪な蛇を殺し、森の神、水の神を殺した畑作農民は、自然を切り刻み、人間の心を切り刻み、魔女を産み出さざるを得なかった。そして現在も善悪の二項対立で物事を決定する。
 ドイツが環境先進国であることはよく知られている事実である。しかし、ドイツでは17世紀まで、キリスト教の宣教師によって国土の70%の森を破壊していた。ところが、20世紀になって地球環境問題が起こると、手のひらを返したように、立ち木1本切ってはいけないという法律をつくった。私はそのことを知ったときに、ドイツという国の何か恐ろしさのようなものを感じた。この徹底主義は一体何か。それは、一神教には心の柔軟性がないということである。
 私は、環境問題の解決に取り組むには、グレイゾーン=心の柔軟性が重要ではないだろうかと考える。
 
 なぜヨーロッパの人々は魔女を生み出さなければならなかったのか。
 1620年に、初めて魔女が処刑されたワーベルン村。天候が悪いのは、村に住む女性、マリーのせいだということになって処刑されたのである。しかし、日本には魔女は登場しない。なぜ登場しないか。日本人は天気が悪いと、竜が暴れているから仕方がないと諦めることができる。しかし、ヨーロッパの彼らは、誰かのせいにしなくてはならない。そういう文明の闇がアングロサクソンにはある。いつも何かと戦っている。善と悪の二極対立である。善と悪をはっきりさせなくてはならない。善のためならいかなる手段を使っても良い。そのような闇である。日本人が諦めるのは、心のグレイゾーン、クッションの大きさ、とでも言えようか。これは、アニミズムの神を信仰しているからではないかと思う。
 最澄は、山川草木皆みな成仏であると説いた。小さき者への認識、自然への畏敬の念である。このような信仰は、現在を生きる我々へのメッセージとしてあらためて強く認識したい。
 日本に象徴されるように、稲作漁労民の流域経営にはすばらしい知恵がある。
 例えば、大洪水がおこる。災害がおこる。天気が悪くなる。すると流域全体に影響が出る。
 水の流域は、運命共同体でもある。上流の人も下流の人もつながっていると実感している。
 和を保たなくては生きていけないので、流域を単位としてとらえた。水利共同体は、利他の精神を養った。水をきれいに使おうとすると、他人のことを考えなくてはならないのである。こうして、稲作漁労民の森と水を守る心は、ヨーロッパとは異なる「美と慈悲の文明」を生んだのだ。
 
 1世紀の文明は、水問題で危機に直面する。
 IPCCの予測では、地球温暖化によって、気温は最大5.8度まで上昇するという。温暖化の影響は様々にあるが、甚大なものは大干ばつである。大干ばつが起こると、地球の約40億〜50億人が水不足に見舞われると予想されている。アメリカの穀倉地帯やインド、アフリカ、これが水不足になる。さらに恐ろしいことには、彼ら畑作牧畜民は、環境が悪化すると移動する。環境難民の大移動が起こるのである。
 我々日本には、森林に水源涵養(かんよう)林とした水がめを持っている。私は、今まで日本の風景が美しいとことさらには思わなかったが、じつは、森と水と自然がうまく共生している。森と水の循環系がきちんとできているのだ。日本は、グレイゾーン=心の柔軟性を持った素晴らしい国だと思う。
 地球環境問題に取り組むためにも、21世紀は、森と水を守る文明を構築しなくてはならない。
 
 
まとめ
 
  1. 人間は、何を食べるかによって自然破壊の程度が異なる。
  2. パンと肉を食べミルクを飲む畑作牧畜民は森と水を破壊する。
  3. 米と魚を食べ味噌汁を飲む稲作漁労民は森と水を守る。
  4. これまでの文明の主役は、畑作牧畜民の造ったメソポタミアやインダスエジプト文明だった。しかし、稲作漁労民も文明を造っていた。それが長江文明である。
  5. 長江文明は、日本文明の基層として極めて大きな影響を与えた。
    その一例が日本神話である。
  6. 稲作漁労民の森と水を守る心は、「美と慈悲の文明」を生んだ。
  7. 21世紀を畑作牧畜民の生み出した力と闘争の文明に変わって「美と慈悲の文明」の時代にしなければならない。
 
 
参考文献
 
 安田喜憲 「龍の文明・太陽の文明」 PHP新書2001
 安田喜憲 「古代日本のルーツ長江文明」 青春出版社2002 
 川勝平太・安田喜憲「敵をつくる文明・和をなす文明」PHP2003
 安田喜憲編著 「魔女の文明史」 八坂書房2004
 安田喜憲「東西文明の風土」朝倉書店1999
 安田喜憲「大河文明の誕生」角川書店2000
 安田喜憲「日本よ森の環境国家たれ」中公叢書2002