(1)世界遺産登録運動の目的
私たちにとって世界遺産とは何なのか。2001年から2003年までで世界遺産登録の要望・運動があるところを、新聞報道を基に環境省が調査したところ、知床、摩周湖、大雪山、南会津のブナ林、富士山、小笠原諸島、立山・黒部、白山、山陰海岸、阿蘇山、綾の照葉樹林、稲尾岳、奄美群島、南西諸島、やんばるの森、西表島、以上の地域が挙がった。全国各地で世界遺産にすべきだ、なりたいと運動が起こっている。この運動にはいくつかのパターンがあり、一番大きいのは地元の人たちが観光振興による地域活性化を期待して起こすもの、2つめに特定地域の保護、開発の抑制を目的としたもの、そして、学者が、学術的価値を認め推挙するというケースがある。
例えば、観光振興による地域活性化のための運動としては、摩周湖で地元の観光協会が中心になって運動している。これらの人々は、屋久島、白神山地がそれまでは認知度が低かったが、世界遺産に指定されて皆が知るようになり、宿泊者数が倍増しているのを見て、自分の地元も是非世界遺産にという要望を出しているようだ。2つ目の保護の強化を目的としている運動は、世界遺産になれば、現在開発されそうになっているところが守れるのではないかという考えから行われている。例えば、宮崎県九州山地の綾の森という照葉樹林では、送電鉄塔が建つという動きがあり、その反対のために立ち上がったのが始まりとなり、10〜20万人の署名を集めて運動をしている。また、学術的価値の保存・評価ということで、大雪山や小笠原では大学の先生が登録のための運動を起こしている。
(2)世界遺産と日本の自然
世界自然遺産は世界の中で見て非常にユニークで、原生的で、できるだけ広い場所という基準がある。ユニークだということだけであれば、日本にも多くの場所がある。しかし、原生的、広い場所ということになるとどうしても少なくなる。検討を続ける中で気付いたのは、日本の自然はどうしても人為の影響を受けているところが多い。日本人というのは自然と調和して生きてきた民族だ。例えば里山の住民は山から永続的に薪を採り、狩猟をし、自然から恵を受けるが故に自然を守るというスタイルで生活してきた。影響を与えているが、それ故に独特な価値を持っているというのが日本の自然の大きな特徴だ。環境省が調査した日本の絶滅危惧種のうち、60%くらいが人為的影響の強い里地・里山に分布している。例えばギフチョウ、メダカ、タガメなどは、人間のライフスタイルが変化し、自然に対する働きかけをやめてしまったが故に、それらの種が生息するための環境が失われてきことで絶滅の危機に瀕している。文化的に日本人は自然に影響を与え、その関係の中で自然を残し、育んできた。
世界自然遺産の基準は西洋人的な発想に準拠している。歴史的に、ヨーロッパの人達は自然を切り開いてきた。特にイギリスでは広大な森林を農地に変え、その反省で自然保護をしようという動きに転じたのが自然保護の始まりだ。人間が影響を与えることは自然にとってよくない、残っているものを大切にしようという考えだ。アメリカの自然保護運動も、人間がほとんど手をつけていないところを守ろうというところから始まっている。人間と自然との間を客観的に見ている。自然の中に入っていくというよりは、自然を守る対象として捉えている。世界遺産の基準もそのような欧米の考えの下にできているので、日本の中で合致する地域が少ないのは当然である。
(3)世界遺産条約の精神
世界自然遺産の条約をよく読むと、条約の精神というのは必ずしも世界遺産リストに登録することについてだけ書かれているわけではない。第2条には世界遺産の定義について書かれている。生物学的、地質学的、自然の風景地など様々な視点が書かれているが、最終的に「学術上、保存上又は景観上に顕著な普遍的な価値を有する」と述べている。これは英語では「outstanding
universal value」という言葉で表される。ここで注意するのは、この言葉はいわゆる世界自然遺産リストということからは離れて述べられていることだ。次に第4条では、自分の国の自然を世界遺産に認定し、保護、整備し、将来の世代に伝えることが義務であるということを述べている。ここでもまだ世界遺産リストについては出ていない。つまり、世界遺産の最初の方ではきちんと自分達の国にある自然、価値のあるところを守り、次の世代に伝えるということを、条約の精神として唱えている。第11条では、世界遺産一覧表に登録する手続きについて書かれ、第12条では「世界遺産一覧表に記載されなかったという事実は〜中略〜顕著で普遍的な価値を有しないという意味に解してはならない。」と述べている。私もあえて最初の説明で世界遺産とは何かということを説明するのに、「世界遺産リストに載っていること」と述べたが、世界遺産条約上は、必ずしも世界遺産一覧表に載っているということだけでなく、載らないものも価値があるということが述べられている。最後の第27条では、自然遺産リストに載っていなくても価値のある自然遺産を評価、尊重するよう努めるということが書かれている。世の中ではどうしても「世界遺産リストに載ること」がいいことだと考えられているが、条約をきちんと読めば、登録自体が一義的な目的ではないということがわかる。一方で、新たに世界遺産となって有名になり、人が大勢押し寄せて自然が荒れてしまい、税金の無駄遣いとなってしまうよりも、自国できちんと保護されているならそのままの方がよいという意見も出ている。その懸念は当たっている部分もある。単なる流行やイメージで世界遺産になりたいということであれば、むしろならない方がよい。世界遺産になるということは、人類全体のためにそこを守っていくということで、そのために地元の開発等には痛みも伴う可能性がある。それらも踏まえて考えていくことが必要だ。
次に、皆さんに考えていただきたいのは、世界遺産条約による自然遺産というのは必ずしもリストだけの話ではないということだ。自分達の身近でいつも行くようなところ、身近な国立公園などで、outstanding
universal value、(顕著で普遍的な価値)のあるところをもう一度見つめ直し、世界遺産の基準にかかわらず、日本人として誇りに思っていただきたい。私が以前アメリカのデスバレー国立公園を視察した時に、そこのボランティアに、ボランティアになった理由を聞いたところ、ここを愛しているからだという回答を得た。自分の身近にある自然というものに対して愛情と誇りを持つことが大切で、それが世界遺産もともとの精神だ。世界遺産リストに載るかどうかだけに固執すれば、むしろ本来の目的から遠のいてしまう。ナンバーワンを目指すものではなくオンリーワンをいかに評価できるかにポイントがある。
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