国立公園について、大学の講義や審議会、関係者の間でするのとは違ったかたちでお話したいと思います。
大正14年(1925年)に、岩手山の焼走り(ヤケバシリ)について「国立公園候補地に関する意見」という意見書を出した人がいました。
『どうですか、この溶岩流は。殺風景なものですが、噴き出してから何年経つか知りませんが、こう火が出ると空気の渦がぐるぐる煮立って、まるで大きな鍋ですな。頂の雪もあをあを煮えそうです。まあ、パンをおあがりなさい。一体ここをどういうわけで国立公園候補地に皆が運動せんですか。いや、可能性、それは充分ありますよ。勿論、山全体です。』
これを書いたのは宮沢賢治です。それより前の明治34年には三宅雪嶺という人の文章が残っています。要旨は、アメリカには、イエローストーンという大きな公園がある。イエローストーンは1872年に国立公園になるんですが、それを、日本で公園ということばを使わないで「国園(こくえん)」と言っていまして、そして、日本にもこういうところをつくることができるんじゃないか。富士山全体がそうなったっていいし、あるいは、日光山、こう言ったときには男体山だけではなくて、恐らく中禅寺湖から奥日光含めた全体を指すと思いますが、日光山全体はそうなってもいい。「国園」にせんですかというものです。
実際に国立公園という言葉が言われるようになるのは明治45年以降で、昭和6年に国立公園法が制定されました。昭和9年に、雲仙、瀬戸内海、霧島が、その後、阿寒、大雪山、日光、中部山岳、阿蘇の5箇所が国立公園に指定され、戦前には、十和田、富士箱根、大山、吉野熊野を含む合計12の国立公園が誕生しました。
自然公園法の第1条に「すぐれた自然の風景地を保護するとともに利用の増進を図り、もって国民の保健、休養、教化に資する」と書かれている。また、国立公園の定義には、「国立公園は我が国の風景を代表するに足りる傑出した自然の風景地で環境大臣が区域を定めて指定する」とあります。この「指定をする」公園と「設置する」公園の違いが、皆さん方には少しわかりにくいところかなと思います。
公園をつくるということは、普通はその土地の所有や利用権というものを設定して、そこに公園目的のものをつくるといった営造物的な公園のことです。アメリカのナショナルパークはそういった形式のものなので、レクリエーションのために利用するという目的以外に、敷地内に私有地や、あるいは他の土地利用の目的で使われる場所がないということが建前なっています。
しかし、日本の場合、指定をする区域は「法律の適用にあたっては所有権、鉱業権その他の財産権を尊重するとともに、国土の開発その他の公益との調整に留意する」となっているのです。つまり、民有地である場合や営林的な要素を含む土地も国立公園に指定されることもあるが、財産権、鉱業権、水力発電のダムをつくるような公益事業などが風景を守るために規制を受ける場合には調整する必要があったり、不許可処分に対しての損失補填請求も受忍の義務を超える場合には補償を受けられると法律にあるのです。実際には折り合いのつく範囲内で許容してもらっていますね。端的な例でいえば、公園の中で平屋建てか2階建てまでならば木々に隠れてしまうので、それほど風景を害することはないと判断され、建設の許可が下りることもあります。もし2階建てではなく5階建てにしたいと異議申し立てがあった場合、それに対して損失を補償するかどうか。実はそういうことが、伊豆の国立公園で裁判になったことがありますが、その風景を守るためには、1階か2階建ての建物までが限度であり、5階建ては一つの財産権の主張のしすぎだということになりました。
このように、みなさんからすれば日本の国立公園は特殊に思えますが、実は、ヨーロッパの国立公園の殆どはこういうスタイルです。
また、自然公園法には、先程お話したように、すぐれた自然の風景地を保護するとともに、利用することによるレクリエーション効果や教育的効果というような保健休養教化に役立てることが目的にあります。しかし自然環境保全法には、優れた自然環境を有する地域を指定し、保全するとあり、この様に利用するという言葉はありません。
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