2005年度 市民のための環境公開講座
   
パート3:
日本の食の現状  
第1回:
国際化の中の日本の食
講師:
中村 靖彦氏
   
講師紹介
中村 靖彦氏
東京農業大学客員教授・農政ジャーナリスト
1935年生まれ。1959年東北大学文学部卒と同時にNHKに入局、1974年解説委員、1980年番組制作局・農林水産産業部担当部長を経て1984年から再び解説委員となり、2001年に退職。現在は東京農業大学客員教授の他、農政ジャーナリストとして幅広い活動を行っている。またNPO法人「良い食材を伝える会」の代表理事として、子供や大人が農作業に親しむ啓蒙活動にも取り組んでいる。畜産振興審議会など食料問題に関する政府委員も数多く務める。
 
 
1.輸入食品と日本の食
 
 私たちの日常の食生活は、国際化の流れの中に置かれています。
 昨年2月に、庶民的な食べ物であった牛丼が姿を消しました。その前の年の12月にアメリカで初めてBSEが見つかり、日本が牛肉の輸入を止めたからです。国産の牛肉はアメリカ産のものと比べてとても高く、安い値段で消費者に商品を提供できないからです。
 アメリカ産牛肉がだめになったとき、もう一つの大生産国であるオーストラリアでは、急な対応ができませんでした。牛は大きくなるまで20ヶ月以上の時間がかかるため、需要が増加してもすぐに供給できないからです。
 牛丼の次に牛タンが消えました。宮城県仙台市はその影響をまともに受けましたが、現在ではかろうじて、国産やオーストラリア産で販売しています。オーストラリア産は基本的に草で飼育しているので脂分が少ないのですが、国産だと値段が高くなってしまいます。
日本では年間130万頭の牛が屠畜されています。一方、アメリカでは年間3,500万頭が屠畜され、そのうち7割の牛のタンが日本に輸出されていました。日本に輸出していない牛タンをどうしているのかと関係者に聞くと、一部はメキシコ料理店で使われているそうですが、ペットフードにも使っているそうです。我々が日常食べていたものがペットフードになっているわけです。これを聞いたとき、私は複雑な心境になりました。
 また、鳥インフルエンザは東南アジア、中でもタイに蔓延し、国内でも騒がれました。その時、国内では焼き鳥用の肉が不足しました。タイから鶏肉が輸出される際には冷凍して日本まで運んでいたのですが、冷凍保存された鶏肉に鳥インフルエンザウイルスが付着している可能性があったのです。鳥インフルエンザは基本的には人間には感染しません。卵や鶏肉を食べてもうつりません。しかし、仮にそうして入ってきたウイルスが日本の養鶏場に入ると、そのウイルスに対して免疫のない日本の鶏は次々と鳥インフルエンザにかかり、大変なことになります。そこで輸入をストップしたのです。鳥インフルエンザウイルスは酸や熱に弱いので、タイ政府との話し合いで、現地の加工場で加熱処理してから日本に運ぶことになりました。
 こうしたように、世界で食に関して何かしらの動きがあると、私たちの食卓に直接に響いてくるのです。これは、日本の食糧自給率が低いことと関係しています。
 
 
2.日本の食糧自給率
 
 最近フードマイレージという言葉をよく聞きますが、これは輸入農産物が環境に与えている負荷を数値化するために考えられた単位で、生産国から私たちの食卓まで食べ物が運ばれた距離と輸送量をかけたtkmで表します。実は、日本はその数値がとても大きいのです。これに従えば、日本は穀物の輸入(小麦・大麦・トウモロコシ等)がアメリカや韓国に比べて圧倒的に多いのです。これは日本の食糧自給率が低いことを表しています。
 食料自給率の計算方法は3通りあります。@カロリーベースは、日常で採っているカロリーの中で、どのくらいを国産でまかなっているかという指標です。これで表される食料自給率は40%です。Aは量ベースで、量で見たときの自給率を示します。例えば、日本で大豆を年間500万トン消費しますが、そのうち国産は5%くらいです。Bは生産額ベースです。国内品を出荷するときの生産額と、輸入する農水産物の輸入金額を全部合計し、そのうち国産はどのくらいの割合かを見るものです。これで表される食料自給率は68%になります。日本の農産物は、概ね品質は良いが値段が高いため、生産額にすれば割高になるわけです。
 この3つの方法のうち、その国の食の事情を最もよく表すものは@カロリーベースの自給率と言われています。畜産物ではエサがどこから来ているのかまで遡って計算をします。豚肉を例にしますと、輸入する分は47%、国産は53%です。しかし、国産分のうち90%以上の飼料が海外依存です。国内で生産した飼料で飼育している豚は、わずかに5%です。
 鶏卵の自給率はA量ベースでは96%、@カロリーベースでは9%です。
 
 
3.簡便さを求める食
 
 「中食(なかしょく)」という言葉がありますが、これは調理済み食品のことです。お惣菜ではコロッケ・シュウマイ・ギョウザ・ハルマキなどで、他にはコンビニの弁当、調理パンが挙げられます。中食市場は6兆円と非常に規模が大きく、コンビニやデパ地下でも売場はどんどん増えています。中食が盛んになると、家庭で調理をする必要がないので、包丁やまな板を使わないで生活ができるようになりました。それ以外では、私は簡便な食の3点セットと呼んでいますが、@骨なし魚、A無洗米、Bカット野菜があります。@骨なし魚は、ピンセットで骨をきれいに抜き、再び冷凍にして出荷しているものです。日本は人件費が高いので、材料を中国の大連あたりへ持って行き、そこで加工をします。Aの無洗米は米を研がなくても炊飯器で炊ける米です。Bのカット野菜は、パックに入って売られています。とにかく手間がかからなくなっているのですが、ほとんどが輸入の食材で作られており、その多くの供給地は中国やベトナムです。肉じゃがや、ひじきの煮物も現地で加工し、冷凍して日本に持ってきます。
 
 
4.脅かされる「食の安全」
 
 この3年ほど、食の安全を脅かした事件が頻発しました。中国からの冷凍ほうれん草に農薬(クロロピリホス)が基準値以上に残留していた事件、国内で登録されていない農薬を使って果物を栽培していた事件、国内では認められていない食品添加物を肉まんに使い公正取引委員会から排除された事件など、表示違反事件は数知れずでした。こうした事件が続いて、日本の消費者が食の安全に対する信頼を一気に失いました。その対応として、行政側では、農林水産省の中に消費安全局をつくり、内閣府には食品安全委員会をつくりました。食の安全への不振の原因は、まずは供給側のモラル欠如です。もう一つは行政のチェック体制が追いついていなかったことが挙げられます。
 当時の厚生労働省に、冷凍ほうれん草に対するクロルピリホスの基準値はありませんでした。民間の団体が抜き打ち検査をして、その残留が確認されたのです。なぜ基準が無かったかといえば、そういった食品が冷凍技術や輸送技術の発達で容易に日本に入ってくることがちょっと前まではなかったことだったからです。日本が生鮮野菜を輸入したり、現地で加工し、冷凍して輸入するという流通形態は、行政側が全く想定していなかったものでした。
 
 
5.乖離する生産者と消費者
 
 食べる側・供給する側の距離は非常に遠くなっています。都会の消費者の方で、農村の現場を実際に見た人はどれだけいるのでしょうか。また、現代の食品製造ラインはとてもシステム化、機械化され、スピーディーさが要求されています。これを見学した方はどれだけいるでしょうか。おそらく非常に少ないのではないでしょうか。
 こうした状況であれば、供給側の人間はごまかしをする誘惑に勝てないのです。表示違反の大半は、そうした思惑で発生したのだろうと思います。明るみに出た最大の理由は内部告発です。その一方で、消費者がクレームをつけて表に出た事例は、今まではほとんどありません。
 数年前の魚沼産コシヒカリの事件は、悪質な表示違反でした。大手の卸会社が無検査米(現在は任意で検査を行っている)を袋詰めにして、魚沼産コシヒカリとして長い間販売していたのです。しかし、消費者は誰一人として販売会社に申し立てをしませんでした。みんなブランドに騙されていたのですね。当時の食糧庁が抜き打ちでDNA検査をしたことで発覚しました。この事件の一端は、消費者にあると思うのです。
 表示は、消費者が選ぶ手がかりとしては大事なものですが、本来、食べ物は五感で選ぶことが基本です。しかし生産者と消費者の距離が離れ、中食が盛んな昨今、生産物に対しての五感が磨かれていません。そこで頼るのがブランドです。ですから魚沼産コシヒカリというブランドに騙されるのです。生産量は非常に限られているので、日本中で販売するだけの量はありません。これが食の安全や安心を脅かした事件の背景にあると私は思います。
 
 
6.BSEから将来へ向けて
 
 1986年にイギリスでBSE第一号が出ました。これは効率追求の結果です。BSEが蔓延したのは、本来捨てるべきだったくず肉や骨を、もう一回エサにした肉骨粉が原因です。肉骨粉には異常プリオンが含まれていたのです。BSEは潜伏期間が非常に長く、異常プリオンが牛の口に入ってから発病するまで2年〜8年かかります。現在イギリスでは、18万頭の牛がBSEとして確認されています。牛は胃が4つある反芻動物で、本来のエサとしては草や藁が向いています。ところが肉骨粉は消化がよく反芻する必要がないのです。屠畜場で牛を解体すると、胃が機能していません。消化のいいものだけを食べ続け、反芻機能が退化した結果です。
 栄養的に飼料として適していたため、肉骨粉は牛の飼料として急速に用途が広がり、BSEはイギリスからヨーロッパ大陸中へ伝播することとなりました。このため、ドイツやフランスでは何百頭というオーダーでBSEが発症しています。ヨーロッパ大陸ではこれが大きな教訓になり、今までの畜産のやり方に痛切な反省をしました。
 日本は肉骨粉をヨーロッパほど使わなかったので、BSEとして確認された牛はまだ20頭程です。絶対的な使用量が少ないので低汚染国です。日本で見つかった20頭は、確証はないのですが、おそらくイタリアから輸入した肉骨粉の中に異常プリオンが残っており、それが牛の口に入ったのだろうと言われています。
 さて、私が現場で取材していた25年程前、ホルスタイン牛の年間の搾乳量は1頭当たり5,000キロくらいでした。年間5,000キロくらいに抑えておけば、7〜8回のお産をしても牛は元気に乳を出します。ところが現在は倍近い9,200キロです。2〜3回お産をさせ、10,000キロ近くも搾乳すると牛はあまり乳を出さなくなり、お払い箱になります。一度も外に出ないで、畜舎の中につながれたまま一生を終える牛もたくさんいます。都会の消費者の方々にこの話をすると驚かれます。一方、生産者の側からすると、乳価は全く上がらないので、経営を続けていくためには頭数を増やし、一頭あたりの搾乳量を増やさなければならないのです。もし、中小のプラントが集まる地域で、地域の人たちが相談をして、健康な牛のために多少、乳価に上乗せをした分を生産者に支払うというやり方を取れるとしたなら、改善が見込めると思います。地域ごとであれば可能だと思いますし、実際に実施しているところもあります。
 日本の畜産や農業はこれからどうなっていくのか。今までは生産性向上一点張りで進んできました。先ほどの事例では、乳をたくさん搾る、コストを下げるという路線でした。その一方で、地域の特性を十分に生かした畜産・農業を営んでいった方がいいのではないか。そういう議論をすべき時期ではないかと思っています。BSEとは、こういう議論をするきっかけを与えてくれたものだと思っています。
 
 
7.食育のあり方
 食育は最近、話題になっていますが、言葉としては明治時代の太政官布告に出てきました。そこでは、徳育・知育・体育とともに食育が使われていました。
 食育基本法を作るときに、私は国会に呼ばれて自分の意見を述べました。そこで出た問題意識は、子どもや若い父母、先生が、あまりにも食材や調理について知らないということでした。食育基本法は色々な立場の人が食育に関わっていかなければならないと書かれていますが、理念法ですから具体的なことは何も書かれていません。
 食育の究極の目的は、「命のこと」「旬のこと」を子ども達や若い人たちに伝えていくことだと思っています。私が関わっているNPO法人「よい食材を伝える会」では、今年の4月から「食材の寺子屋」を始めました。世田谷の廃校の一部屋を借りて勉強会を開催しています。なぜ始めたのかと言えば、先ほどお話した「命のこと」「旬のこと」を皆さんに伝えたいからです。なぜ「命」か。昨今、子ども達は凶悪な事件を次々起こしておりますが、これは子ども達が「命のこと」を知らないからだと思っています。私は宮城県仙台市で育ったのですが、小さい頃は昆虫がたくさんいました。そこで昆虫で遊んで、羽をむしって、苦しみながら死ぬのを見るうちに、知らず知らずに「命は一旦失ったら、もう戻らない」ということを感じていたのだと思います。現代の子ども達は、そうした経験が希薄なのではないでしょうか。「命」を教えるところは、決まりきった教室の中ではなく、「命」が見える農村です。そこには虫がいて、家畜がいます。その家畜を食料としていただいて、自分達の命となることを伝えるべきだと思います。
 食育の中の大きな柱には、農業体験や農村体験もありますが、私としてはもっとシステム化し、国の中で広げたいと思っています。日本という国をどうするのか。勝ち組はどんどんお金を稼ぐという格差社会の世の中で本当にいいのかどうか。先ほど話したBSEの教訓とも相通じることだと思っています。